某天,在MSN,把公式網頁的連結扔給鬼塚佐治。
「林遣都!」隔著MSN也感受到有人在另一頭大叫。
真是多得Asian Film Awards那個只有英文的網頁,Parade有份競爭最佳電影,演員導演名字卻不見。那麼多劇照不選,偏選了張小出恵介背向鏡頭的照片。
■ http://www.asianfilmawards.org/2010/index.php/en/afa-screenings
UA的網頁更是只有一個旋轉木馬...... 唉!教人如何意識到這套在本地被提名競逐Asian Film Awards的最佳電影《Parade》,就是那套拿下柏林國際電影節國際影評人聯盟獎的《Parade》。
更吊詭的是一早在網上購票的鬼塚佐治有劃位,去到票房買票的C君被通知不設劃位,今天在網上看也是不設劃位。
這套電影的主角是藤原竜也、香里奈、貫地谷しほり、小出恵介,和林遣都。不過,M想看這套電影卻是因為行定勲。ヾ(≧▽≦)ノあははは!
電影公司社員直輝、自稱插畫師的未来、無業的琴美、大學生良介,四人合租一間公寓,家裡附近發生一連串的傷人暴力事件,受害人全是婦女。一天一個男娼サトル闖進他們的家,展開了意想不到的結局。
不知出自誰的神來之筆,把電影譯作《東京同棲80後》。
不清楚原作者吉田修一是甚麼時候寫《パレード》,但小說於2002年拿下山本周五郎賞時,吉田修一也只不過是34歲,那時小說人物和作者的年齡,相差只不過是十年左右。隔了八年,吉田修一和行定勳也只不過是42歲,但是演員和導演的年齡,相差已有二十年。
看了一堆行導的訪問,行導幾乎是重複又重複的說:「我不明白現在(日本)年輕人腦袋裡想的是甚麼,電影裡應該笑的地方他們會笑,只是不應該笑的地方他們也在笑。」、「我想看外國的年輕人在看這套電影時的反應。」...
日本也有電影飯抱怨:「不明白為甚麼看這套電影的年青人一直都在笑。」
坐在M旁邊的女生,也是一開場沒多久便不停的咕咕笑,害M一直偷瞄坐在另一邊的G君和C君是不是已經睡著了。
這不是一套笑片,這是一套不一樣的「恐怖片」,沒有恐怖鏡頭,但打從心裡對人性的恐怖而凝結。
吉田修一寫的是人性陰暗的一面,但電影出來後,卻演變成了80後不為人知的一面。
所謂80後,是香港人的名詞,在電影裡(或小說)即是社會上20代的想法。「ここはチャットや掲示板のようなもの。嫌なら出て行けばいいし、居たければ笑っていればいい」。
2010年的80後真的是這樣嗎?2000年時的70後、1990年時的60後、1980年時的50後、1970年時的40後、1960年時的30後,還不是一樣...
《パレード》本編&メイキング映像 ビデオ■ http://www.youtube.com/watch?v=Ydx2ueufMOE
Making of Parade 1■ http://www.youtube.com/watch?v=S7ct-z3ZAz8
Making of Parade 2■ http://www.youtube.com/watch?v=hv03m2tUShQ
Interview 藤原竜也×香里奈■ http://www.youtube.com/watch?v=yEMiCQ6aMZwI
nterview 藤原竜也×小出恵介■ http://www.youtube.com/watch?v=uakLkj5r3t8I
nterview 貫地谷しほり×小出恵介■ http://www.youtube.com/watch?v=CDTR34RkKjsa
パレード(Parade)公式HP■ http://www.parade-movie.com/
ネタバレ(以下文字取材自舞台挨拶観客の質問)
Q1.最後のシーン(直輝の犯行シーン)は、当初は犯行を行わない脚本だったとか?!
あのトンネルのシーンは原作と変えようとしていて、 最初は、女が通り過ぎる→直輝が女を襲い顔をメチャメチャになぐるシーンを頭の中でシュミレーションする(つまり妄想)→いざ、襲いかかろうとしたところをサトルが止める というプランだった。
そして、そのシュミレーションのシーンでは女の顔をグチャグチャにつぶすという
衝撃的な映像にするつもりだった。 だけど、撮影が進むに連れ、これは無理、サトルは決して止める側の人間ではないと思った。 撮影はキャストたちと話し合いながら進めたが、 サトル(けんとくん)は、自分では直輝を止められない、と言った。 なので、あの場面では直輝の内面を放置しようと思った。
そして、カメラは引きで、アップでは撮らないよ、と。 変更にあたっては、竜也も面白いですね、と言ってくれたので がんじがらめにして、細かい動きひとつまできっちり指示し、 決して違う動きは許さなかった。 それに反して、良介には自由にやれ、アドリブだらけにしていいと指示した。 すると、竜也はひたすら自分を抑え込む芝居をしてくれて 走っているシーンでも、視線ひとつも決して動かさない。
竜也は舞台俳優として培ってきた素晴らしい身体能力を持っているからこそできた。
Q2.サトルのキャスティングについて
キャスティングに当たっては凄い数の人に会ったがピンとくる人に出会えなかった。 サトルは”新人枠”と思っていたから名のない人を探していた。 あまりに決まらないので、HプロのプロデューサーIさんに サトルが決まらなければやれない、と言ったら、困ってしまい。林遣都なんてどうですか?と言われ、受けてはくれないだろうと思いつつ話を持っていったら,本人が乗り気というので会ってみた。 そこで、この役がやれなかったら僕は俳優辞めますと言われて、辞めなくていいから一緒に仕事をしましょう、と、サトルが決まった。
金髪については遣都くんのアイデアだけど、どちらで(黒髪か金髪)でやるか本人も迷っていて、クラインクインの前日に直接電話をもらって、金髪に決まった。 彼も黒髪でやる自信がなかったのかも知れない。 自分は遣都が爽やかな俳優だとは思っていない。 デビューから主役という重責を背負っていたから、今回は主役でないということもあって 自由にやれたのではないか。
Q3.エンディングのこだわりについて
7年前だったら小説のラストシーンはショッキングだったが 現在は温度差がなくなってしまった。 ラストのカット。直輝が見上げるシーンは、演出じゃない。 竜也には、自分の感情の流れに従って欲しい、とだけ伝えた。 自分は、直輝が最後にどんな顔をするのか見たかった。 この部屋に身を埋めるのか、それとも、批判的に見るのか? 自分もその中にいるんだ、と認めることは、自分でいちばん怖ろしいこと。 どうにもならないものに捕まってしまう感じを表現したくて、 窓にはこだわった。
あの部屋自体が社会 。あの部屋に閉じこめられている=いわば牢獄。 そして竜也が最後に見せたのは、少年の顔、純粋な顔だった。 それは2つの選択のどちらにも取れる顔だった。
電影,另我記起10代時收到室友L君的一封疑似絕交信,信上說:「看到你化妝的樣子,我覺得你很墮落,心痛......」
誠意推薦。
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